「にらいかない北杜」のご紹介

「にらいかない北杜」の名称のもととなった”ニライカナイ”とは、沖縄で、海の彼方の海底にあると信じられて来た理想郷のことです。私たちは、山梨県の八ケ岳山麓にある北杜市で、沖縄のドキュメンタリー映画の自主上映や講演会を開催してきました。毎回、様々な人が入れ替わり立ち代わり関わりながら、前回の「戦場ぬ止み」の上映会の時には560人の方に映画を観ていただきました。
人口が4万5千人ほどの北杜市でよくぞこれだけ集まった、という人数でした。

今までは、その都度「◯◯◯上映実行委員会」というような名称で主催してきたのですが、そろそろ主催団体名を統一した方がいいのでは、ということになり、新しい団体名をつけることになりました。

「にらいかない」とした理由は、今まで一緒に活動をしてきたHさんの思い出からです。
Hさんは、昨年の4月に突然他界されました。
そのHさんと行動した一番の思い出が「沖縄応援ツアー」です。
辺野古や高江の抗議行動の応援を目的として、ツアーを企画して参加者を募集したところ、なんと定員オーバーの26名の申し込みがありました。
Hさんは最初は行く予定ではなかったのですが、キャンセルが出たため、ツアー主催メンバーの一人がHさんを誘って行ってもらうことになったのです。

ツアーは様々な出会いがあり、とても充実したものになりました。
その沖縄行をただ個人個人の記憶にとどめてしまうのは惜しい、ということで記録集を作ることになりました。その記録集にHさんが寄稿してくれた文章に中に「ニライカナイ」という言葉が使われていたのです。

「午後は、辺野古を離れ、高江のテントのある本島北部に行きました。
海岸線に沿って北上すると、海の水は、相変わらず澄み、海底の棚の影響で、海の色は変化に富み、暖かな陽光を浴びた穏やかな海には小さな島々が、見えてきました。霞がかった島々を夢のように見ていると、沖縄の人々が、そこから生まれそこへ帰ってゆく、と信じていた海の彼方にある異界(他界)「ニライカナイ」の神話は、まだ生きていて、今もあの霞んだ海の彼方の水底にはニライカナイがあるように思えてきました。」

この文章を読んだ時、私が沖縄に行く度に感じた感覚は、もしかしたらHさんの感覚と同じなのかもしれないと思いました。
辺野古の抗議活動は確かに大変なのですが、その場所を包んでいる太陽の光や空の青、そして山梨の自然には存在しない色=エメラルドグリーンの海に、意識を奪われていれる自分がいるのです。

「にらいかない北杜」のブログを立ち上げる時に迷わず選んだのがこの写真です。
辺野古のキャンプシュワブという海兵隊基地のある浜にはフェンスが設置されています。
そのフェンスに抗議の意味で旗を付けているのですが、周囲の自然の強さ故に、この光景さえもが美しく見えてきてしまうのです。それは、現場に行かないと感じられないものなのかもしれません。テレビなどで辺野古や高江の様子は伝えられますが、そこには人間同士の激しいぶつかり合いばかりが映し出されているように思います。

しかし、今回も上映を予定している三上智恵監督のドキュメンタリー映画は、Hさんが記録集で書いたような「ニライカナイ」を感じさせる空気感まで捉えている、といつも思うのです。
三上監督は沖縄にしっかりと根を下ろし、先入観なしに沖縄の人々に接し、その距離を縮めて撮影しています。だからこそ、ニュースなどでは絶対に伝わらない沖縄の空気感まで観るものに伝えてくれるのだと思います。

今回は「にらいかない北杜」としての初の企画として、その、三上智恵監督の最新作上映を企画中です。
詳細はその都度このブログにアップしていきますので、よろしくお願い致します。

にらいかない北杜
中島






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