『標的の島―風かたか―』上映会報告と感想

    当日は522名の方が来てくれました。アンケートにも約100名もの方が答えてくれました。また、宮古島から遥々来てくれた楚南友香子さんと辺野古から遥々来てくれた仲宗根和成さん、二人のゲストのトークも素晴らしいものでした。
 今回の映画は三上監督の三作目です。「にらいかない北杜」は、その三作すべてを北杜市で上映して来ました(もっとも、前二作のときはまだ「にらいかない北杜」という名前はなかったのですが)。第一作『標的の村』では主に高江のヘリパッド建設問題が取り上げられ、第二作『戦場ぬ止み』では主に辺野古の新基地建設問題が取り上げられました。今回の第三作目では主に宮古島、石垣島へのミサイル基地建設と自衛隊配備の問題が取り上げられ、また、20167月高江での安倍政権による大弾圧の模様が伝えられています。いずれの映画も、本土のマスメディアがほとんど伝えず、そのため、私たち自身の問題であるにもかかわらず、よく知らないまま済ませて来た重大事を分かりやすく教えてくれます。この点では、今回も、三上監督は遺憾なくその冴えを見せています。しかし、『標的の島』には、前二作にはない、監督のもう一つの面が現れています。
 三上監督は大学で民俗学を教えているそうです。この映画では、宮古島と石垣島の祭祀芸能や民謡も描かれています。それらはスクリーンの映像という平面上に、私たちが今「沖縄」と一括りに呼んでいる風土に刻まれた歴史の深さを開示してくれます。
もともと先島諸島の文化と沖縄本島の文化は別のものです。本島にはないパーントゥやトゥバラーマやアンガマの存在はその証でもあります。
本島では1213世紀の「グスク時代」、14世紀の「三山時代」を経て、15世紀に「琉球王国」が成立します。こうして本島が国家化してゆくことで、先島諸島はその国家に支配されることになります。豊年祭での農民と武士の格闘はその表れです。
しかし、17世紀以来、その琉球王国が今度は薩摩藩に間接支配されるようになり、1879年には「沖縄県」として日本の国民国家に併合されてしまいます。太平洋戦争の末期、本土防衛の「捨て石」として凄惨な沖縄戦の犠牲にされ、戦後はその日本の国民国家が今度は連合軍に占領されるようになり、一方、沖縄はアメリカの軍政下に置かれて、住民の土地が「銃剣とブルドーザー」によって強制的に接収されます。石垣島の於茂登地区にだけ、本島の祭祀芸能であるエイサーがあるのも、このとき、土地を奪われた人びとがこの地区に移住して来たからです。
1951年のサンフランシスコ講和条約では置き去りにされ、1972年の「本土復帰」後は、「核抜き・本土並み」どころか、本土から米軍基地が移転され、その70%以上が沖縄に集中することになります。基地あるが故に、米軍人・軍属によるレイプ殺人などの凶悪な犯罪が繰り返され、オスプレイその他の軍用機の墜落は止まず、軍用車両の事故も後を絶ちません。1996年「世界一危険な基地」普天間の5~7年以内の全面返還が発表されました。ところが、政府自民党のいつもの裏切りによって、大浦湾の貴重な海を破壊する辺野古新基地建設にすり替えられてしまいました。また、北部訓練場の返還は、高江の貴重な森を破壊するオスプレイ用ヘリパッド建設にすり替えられてしまいました。人びとが辺野古と高江で闘い続けるのはそのためなのです。
そして、日本政府は、今や末期段階の病める「帝国」アメリカが2010年に発表した戦略「エアー・シー・バトル構想」に従って、日本から台湾・フィリピンに至る「第一列島線」を形成するために、先島諸島を軍事要塞化しようとしています。人びとの生きている大地と海が、人びとが殺し殺されるための「戦場」に変えられようとしているのです。宮古と石垣の闘いはそのためなのです。
こうした歴史の深さを覗き込むことで、私たちは感じられるようになります。基地に反対し続ける沖縄の不屈の闘いは、その祭祀芸能や民謡と同じく、私たち民衆が、歴史の表面で栄枯盛衰を空しく繰り返す国家に翻弄されながらも、悲しく、逞しく、優しく生きることそのものなのだと。

小松原俊一
2017616

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